そもそも私が本格的にトランペットを習いたい、と思ったきっかけは、高校2年生のある冬の夜の出来事からでした。
今、考えるとそれは「必然だったのではないのかなぁ~」とも思えるのです。その出来事は、その後の私の人生をも大きく変える出来事だったと言えますし、今の私を支えている中心的な「コア」にもなっているからです。
小さい時から、音楽への興味関心はずっと持っていましたが、私の小さかった頃(小学生~中学生)と言えば、1960年代~1970年代初め(昭和30年中ごろ~40年初め)~何か大昔ですねぇ~(笑)
中学の頃にエレキギターが流行り、ビートルズ、ビージーズ、あるいはグループサウンズと言った日本人のグループやニニ・ロッソ、ポール・モーリア、マントヴァーニ・オーケストラなどのイージレスニング、またアメリカ映画(ミュージカルも含む)など音楽はどれをとっても“目新しい”と思える時代だったように思います。
そんな時代のなかで今でもハッキリ記憶にあるのは、小学校5年生の時にはニニ・ロッソはいいなぁ~、中学生になったら吹奏楽部に入ってトランペットが吹きたいなぁ~と思っていたことです。この思いは、すぐに実現し中学校では吹奏楽部のトランペットパートに無事配属されたのでした!
私の場合、トランペットで音をだす、ということに関してそんなに苦労した覚えもなく、先輩や同級生と「楽しく」ラッパを吹いていました。私の所属する吹奏楽部はコンクールにも出ていて、部員も多く、特に当時は男子部員が2/3はいたのです!要するに小・中・高と音楽が好きで、トランペットの音色に魅せられてやってきた、ごく普通の音楽好きだったのですね~(^^)~
そんな私が経験した、私の人生を変えるような出来事が、高2の冬にやって来るのです。
教室開設のきっかけ
『トランペットを習いたい』と思ったきっかけ
私の通っていた高校
私の通っていた高校は、ブラス部員12~14名というバンドで吹奏楽部の為の曲など編成上なかなか出来ないでぼそぼそと、でも楽しく活動していたのですが、部活以外で卒業生の先輩を含めたバンド(一応ジャズのビックバンドの形をしていました。)を結成していました。
バンドの名前は確かニューサウンズ?とか付いていたと思います。その頃流行りのグループ・サウンズのユニホームを真似してグリーンのポンチョみたいに頭からかぶって着るユニホームまで作って(袖にNSのイニシャル入りです!)活動していたのです。
そんな11月のある日、部長をしていた私は、生活指導の先生から職員室に呼ばれ、「青年団から出演依頼が来ているが・・・出るか?」と言われました。もちろん二つ返事で受けました。
高校2年生も3分の2が終わろうとする、その年の12月24日。かなり冷え込んで寒い夜でしたが、青年団のクリスマスパーティは地元の公民館を会場にしてあったのです。知らない、思い込み、といった事は後から考えれば恐ろしいことで、自分たちの演奏はスゴイと信じていたみんなでしたから、それは楽しく演奏をさせて頂いたのです。そんな私たちの演奏に青年団の男女の皆さんは、拍手喝采!そして、寒い公民館の会場で汗だくになって楽しそうに踊ってくれたのです。
演奏しながらその踊る姿を見ていた私は、“音楽っていいなぁ~”とつくづく思いました。そして、自分まで楽しくなって口では言えないくらい「感動」しました。ギャラは小ぶりのクリスマスケーキでしたが、自分がとてもハッピーだった事を今でもよく覚えています。
それ以来、トランペットが習いたい!もっと吹けるようになりたい!と本気で思うようになりました。しかし、本当にトランペットを習いたい、と思っても「先生」がいないのです!当時は、インターネットもありませんし、楽器店や周りの知人、高校の先生などに聞いても分からない。
バンドの名前は確かニューサウンズ?とか付いていたと思います。その頃流行りのグループ・サウンズのユニホームを真似してグリーンのポンチョみたいに頭からかぶって着るユニホームまで作って(袖にNSのイニシャル入りです!)活動していたのです。
そんな11月のある日、部長をしていた私は、生活指導の先生から職員室に呼ばれ、「青年団から出演依頼が来ているが・・・出るか?」と言われました。もちろん二つ返事で受けました。
高校2年生も3分の2が終わろうとする、その年の12月24日。かなり冷え込んで寒い夜でしたが、青年団のクリスマスパーティは地元の公民館を会場にしてあったのです。知らない、思い込み、といった事は後から考えれば恐ろしいことで、自分たちの演奏はスゴイと信じていたみんなでしたから、それは楽しく演奏をさせて頂いたのです。そんな私たちの演奏に青年団の男女の皆さんは、拍手喝采!そして、寒い公民館の会場で汗だくになって楽しそうに踊ってくれたのです。
演奏しながらその踊る姿を見ていた私は、“音楽っていいなぁ~”とつくづく思いました。そして、自分まで楽しくなって口では言えないくらい「感動」しました。ギャラは小ぶりのクリスマスケーキでしたが、自分がとてもハッピーだった事を今でもよく覚えています。
それ以来、トランペットが習いたい!もっと吹けるようになりたい!と本気で思うようになりました。しかし、本当にトランペットを習いたい、と思っても「先生」がいないのです!当時は、インターネットもありませんし、楽器店や周りの知人、高校の先生などに聞いても分からない。
トランペットへの夢
そして・・・・・この夜の出来事が、私を「音楽大学へ進学したい。」という気持ちにさせ、高3の夏に意を決して進路変更し家族や周りの先生方の反対を説得して東京に出たわけです。プロの演奏家になって、多くの方にハッピーになって貰いたい。これが私の「夢」になりました。
現に私の「夢」は叶う寸前でしたが、家庭の事情もあって泣く泣く教師になりました。
しかし、どうしてもトランペットへの夢は捨てきれず、今演奏家としてではなく、トランペットを愛する皆さんのお手伝いを少しでもトランペットを通して音楽を楽しんで、また誰かに伝えて欲しい。
そんな思いがこのJoy Musicを設立する動機になったのです。トランペットが好きで、音楽が好きで、という方のお手伝いをしハッピーになって欲しいと願っています。
皆さんの中にも私のような経験をされた方も沢山おられるのではないかと思います。現在でもトランペットの先生が近くにいない、と思っておられる方も多いと聞きます。
私は、そんなトランペット愛好家の皆さまのお手伝いをして本当に楽しんでトランペットを吹いて欲しいと願っています。
現に私の「夢」は叶う寸前でしたが、家庭の事情もあって泣く泣く教師になりました。
しかし、どうしてもトランペットへの夢は捨てきれず、今演奏家としてではなく、トランペットを愛する皆さんのお手伝いを少しでもトランペットを通して音楽を楽しんで、また誰かに伝えて欲しい。
そんな思いがこのJoy Musicを設立する動機になったのです。トランペットが好きで、音楽が好きで、という方のお手伝いをしハッピーになって欲しいと願っています。
皆さんの中にも私のような経験をされた方も沢山おられるのではないかと思います。現在でもトランペットの先生が近くにいない、と思っておられる方も多いと聞きます。
私は、そんなトランペット愛好家の皆さまのお手伝いをして本当に楽しんでトランペットを吹いて欲しいと願っています。